人と自然が作り出すもの
セリーヌの歌ですごく静かな静寂を聞いて、今日授業で聞いた話を書きたくなった。
それは「文化」についての授業で、今日聞いたばかりの話。
日本では、音楽というのは、「自然の音」として捉えられてきた。
だから音程を正確には合わせず、なるままに、合さるままにと奏でられる楽器も多い。
音楽というのは、自然の音を表すもの、と考えているから。
でも西洋の文化は違う。
楽器は音を正確に合わせるし、そもそも、音は「人間」が作り出すもの、として考えている。
インテリアも同じらしい。
日本はいかに飾らない美しさを出すか、西洋はいかに飾って美しくするか。
もちろん、どちらも美しい。
つまり、日本の音楽文化の美しさは、「間」にあるという。
音の鳴らない時間。「静寂」の中に、日本文化は美しさを感じると。
確かに、セリーヌの歌う技術は素晴らしいし、誰が聴いても、すごい人だとわかる。
でもセリーヌの歌には、歌わずに表現される歌もある。
彼女は静寂を表現できるアーティスト。
それに、もし彼女が、正確に歌うことと、心を乗せること、どちらかだけ選択しなければならなくなったら、
私は彼女は絶対に、うまく歌えなくても、心を乗せることを選ぶと思う。
それは彼女の歌を聴けばわかる。
彼女は聴衆に、「セリーヌは歌がうまい!」と思わせようとはしてない。
彼女は、全くの別世界を見てるんだと思う。
最も「価値のある」と感じる彼女の中の世界を見ていて、ただそこに心を委ねてる。
彼女の歌からはそれが伝わる。
彼女が、静寂をも愛するアーティストであることが嬉しい。
西洋だから「間」がないとか、人間が作るものだけが音楽だとか、、、
そんなの悲しいもんね。
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